Triple-E |
2004-07-23 17:30 |
猛将·本多忠勝の娘。徳川家康の養女となり、真田幸村の兄·真田信之に嫁ぐ。家康の意を汲み、事あるごとに徳川·真田両家の橋渡し役を務めた。関ヶ原前夜、真田家は東軍と西軍に分かれたが、徳川方についた信之の留守中に、真田昌幸·幸村父子が沼田城に立ち寄ったが、開門せずに自ら陣頭に立ち、櫓から弓を射掛けさせて入城を拒んだという。戦後の昌幸·幸村への沙汰に際しても、忠勝の家康への直言と、娘の存在が影響したという。
徳川四天王·十六神将の一人。57度の合戦に出陣し、一度も傷を受けなかったという。その活躍は、金ヶ崎の退き口に始まり、家康が信玄に誘い出された三方ヶ原での殿軍、本能寺直後の家康の伊賀越えと、常に主君·家康の命を守って忠義を尽くした。小牧長久手では家康本軍と離れ、忠勝隊のみで秀吉本軍と激闘と、武勇は尽きない。信玄や秀吉ら敵将から「花も実もある猛将」「古今独歩の勇士」「家康に過ぎたるもの」と褒め称えられた。
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